院長ブログ

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鉢木(はちのき)

鉢木(はちのき)

2023年08月07日

佐野に住むようになって5年余りになります。今回は佐野にまつわる古い物語を紹介します。

ある大雪の夕暮れ、佐野の里の外れにあるあばら家に、旅の僧が現れて一夜の宿を求めて戸を叩きました。住人の武士は、貧しさゆえ接待もできませぬといったん断りますが、雪道に悩む僧を見かねて招きいれ、なけなしの粟飯を出し、自分は佐野源左衛門常世といい、以前は三十余郷の所領を持つ身分であったが、一族の横領ですべて奪われ、このように落ちぶれたと身の上を語ります。噺のうちにいろりの薪が尽きて火が消えかかりましたが、継ぎ足す薪もろくにありませんでした。常世は松・梅・桜のみごとな三鉢の盆栽を出してきて、栄えた昔に集めた自慢の品だが、今となっては無用のもの、これを薪にして、せめてものお持てなしに致しましょうと折って火にくべました。そして今はすべてを失った身の上だが、あのように鎧となぎなたと馬だけは残してあり、一旦鎌倉より召集があれば、馬に鞭打っていち早く鎌倉に駆け付け、命がけで戦うつもりだと決意を語りました。

年があけて春になり、突然鎌倉から緊急召集の触れが出ました。常世も古鎧に身をかため、錆び薙刀を背負い、痩せ馬に乗って駆けつけますが、鎌倉につくと、常世は北条時頼の御前に呼び出されました。諸将の居並ぶ中、破れ鎧で平伏した常世に時頼は「あの雪の夜の旅僧は、実はこの自分である。言葉に偽りなく、馳せ参じてきたことをうれしく思う」と語りかけ、失った領地を返した上、あの晩の鉢の木にちなむ三箇所の領地(加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田庄の領土)を新たに恩賞として与えました。常世は感謝して引きさがり、はればれと佐野荘へと帰っていきました。

これは謡曲「鉢木」のあらすじです。困っている人を助けることが本物の武士であるという教訓や親切心の大切さを含んでおり、能の舞台では有名な題目とされています。昭和初期には歌舞伎でも人気を博した演目だったそうです。佐野の小学校で今この話を教えているかどうかは分かりませんが、先日佐野で生まれ育った中年の看護師さんに、「この話知っていますか」と尋ねたら、「知ってます、知ってます。どこかで習いました」と言っていました。

佐野市には佐野源左衛門常世の墓があるそうです。また葛生には鉢木町というところがあります。謡曲はフィクションでしょうが、武士の鑑(かがみ)とされた人物が佐野にいたという物語を聞くと嬉しくなります。                             令和5(2023)年8月7日                                 

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